訃報】のお知らせ

令和5年8月18日

かねてより病気療養中でございましたが、弊社会長の與儀栄功が令和5年8月8日享年88歳にて永眠いたしました。ここに生前のご厚誼に深謝いたしますとともに謹んでお知らせ申し上げます。通夜並びに告別式につきましては、遺族の意向により近親者のみ家族葬にて執り行いました。

 

1.氏名  與儀栄功(よぎ えいこう)

2.生年  昭和 10年 1月30日

3.永眠日 令和 5 8 8

 

【略歴】
昭和 36年(1961年) 与儀家具ベッドセンターを宮古島(旧下地町)に設立

昭和後期 宮古木工芸へ社名変更

平成28年(2016年)創立55周年を期に会長へ就任

 

 

【御挨拶】

根っからの職人気質でもあり、時には商売っ気があるかと思いきやおしゃべり好きで、子ども好きでいながら、オヤジギャグも大好きで。「どんな時でも仕事が第一。一年のうちの364日は働いている。僕は元旦の午前中しか休まない!」と豪語していた姿が昨日のことのように目に浮かびます。

 

三線と木工をこよなく愛し、一度スイッチが入ると相手かまわず何時間でも仕事愛を語ってしまうほど仕事好きな方でした。

 

島の手作り家具屋として会社を立ち上げ、当時の婚礼セットや沖縄ならではの組み込み式仏壇などの製作を行う傍ら、徐々に三線作りへと重心を変えながら人間らしくも懸命に激動の時代を柔軟に乗り越えてきました。

 

70歳の時に初めての大病を患ってからは、仕事を少しでも長く続けるためにお酒をやめ健康食や仕事終わりの適度な運動などにも取り組み、健康管理には人一倍気を付けていた方でもありました。たまに受けていた何歳までが目標ですか?とのインタビューに「僕は死ぬまで生きる!」と半笑いで答えていたのを思い出します。

 

晩年は県外催事への出展に力を入れ、多い時では年間全国20数か所への展示販売会へと出向き三線の販売や修理、無料メンテナンスを行いながら、全国へ三線を広める活動にも尽力していました。

 

宮古島では長年続けていた三線教室も体の動く限りギリギリまで続け、民謡の師範としてコンクールへも毎年多くの生徒を輩出し、芸能祭などのイベントにも積極的に参加し続けるなど、仕事と変わらないほど熱心に行い大切にしていました。

 

そんな與儀栄功が残した三線・木工業界への功績・技術・志を引き継ぎながら、さらなる次世代へと末長く継続していけるよう新たな形も取り入れながら、これからも社員一同頑張って参ります。

 

今後とも御指導・御鞭撻・末長いお付き合いのほど宜しくお願い申し上げます。

 

これまで長く與儀栄功を応援していただきましたこと、心より深く感謝致します。

 

 

宮古木工芸

二代目代表 与儀昌樹